午前2時の正夢

これは夢か現実か?とりあえず眠ることにしよう。

実家の文化を丁寧に受け継ぐ話

自分の実家は正月とかお盆とかにめんどくさいイベントが多い家である。
餅ついたり、おせち自分たちで作ったりetc...
こういうめんどくさいイベントは自分にとっては季節らしさを感じるものであり、めんどくさいながらも楽しくこなしているが外から来た人からすればたまったもんじゃないだろうなと思う。
その代表が母だ。彼女の実家ではお正月にこんな面倒なことはしない。
何なら彼女が高校生まではお手伝いさんがいたのでめんどくさい細々したことはお手伝いさんがやっていたのだ。
母は盆や正月に親戚が集まるのをすごく嫌う。気を使うかららしい。
「効率化すればいいのに。」とか「面倒なことはやめて他に代替の手段を見つければいい。」とよく僕に対してぼやいてくる。

僕の意見は「めんどくせぇことをめんどくせぇこととして受け継ぐことに意味があるんちゃうん?」だ。
仕事や利益追求のために家族や季節のイベントはあるのではない。効率化したって形骸化したイベントが残るだけ。
めんどくさいねぇと言いながら親戚みんなして餅ついたりするからコミュニケーションが生まれたりその家らしさ、その家で生まれ育つアイデンティティが出来上がるのだと思う。
まあ持論なので自分が結婚したりパートナーができたときに同じことが言えるのかという問いは聞かないでくれ。(今の所予定がない)

実家に帰るたびにわざわざ一眼レフで餅つきとか宴会の写真をとったり、母がいくら嫌な顔しても親戚の手伝いなどに行くのは繋がりを切らないようにしたりシャッターを切ることで記憶と記録を残すための努力である。これは地元を離れたから見える景色なのかもしれない。
センチメンタルですねw

結論。 面倒くさい、やる意味がわからないと切り捨ててしまえることの集まりがその家らしさであったりアイデンティティの根底を作る基盤になると思う。
難しいことを言うのなら「文化とは有機的な無駄の集合体であり、その本質は身体性にやどる」と言うやつかもしれない。
身体が覚えているというのはこの先の人間にとって大事なのかもなと思うなど。

rem-rem.hatenablog.com