午前2時の正夢

これは夢か現実か?とりあえず眠ることにしよう。

立鳥跡を濁さず

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この記事を読んだ。個人的に思ってる感想を書き残しておこうと思う。

立つ鳥跡を濁さずで行きましょうというのがこの記事の主旨なのだけど、この手の主張を見るたびにヨルムンガンドのレームのセリフを思い出す。

「立つ鳥跡を濁さず」 辞める者がキレイに去るさま、ってわけだが、 無い話だよな? 飛んで行った鳥は周りにいた者の心に混乱を残す。 何故去ったか理解できない者には鳥は裏切り者に見え、飛びたくとも飛ぶわけにはいかない者は鳥をやたらと恨む。

この言葉が心理だと思う。 どう頑張ってもそいつの人柄とやった仕事がどうであれその場を去るという行為が生むある種の混乱は必ずある。 その行為をどう捉えるかを人はコントロールできない。 この言葉に組織を抜けるということのすべてが詰まっているように思う。

自分がジョブホッパーをよしとしない理由もここに一端があるように思う。(ジョブホッパーを自分がしないという意味であってジョブホッパーな人を批判する意図はない) 残された者の知性や理性がどうであれ必ず混乱がそこにはあって、自分のためになるかもしれないがいたずらに転々としてはただの根無し草だ。 飛び去ったやつをどう解釈するのかはその組織の理性であり文化なのかもしれない。

まああとどうしようもないことを書くと、この筆者はある一定転職市場で優位な立場にあっていつでも自分自身も立鳥になれることがわかっているからこういう主張ができるのだ。 余裕ってのは大事なんだなと思うとともに、この余裕こそが残った人の理解のしがたさとやっかみを生む。

とはいえどうやったら混乱も理解のなさもなく組織から飛び立てるのかには答えはない。 結局のところその人の愛嬌だの人間性だのが一番重要でどういう行動に基づけばいいかはわからない。

恨まれても理解されなくてもいいと割り切れば楽かもしれない。 自分が割り切りを避けるのは割り切ってしまったらこの問題に無関心になるだけで悩む人がいたときに同じ周波数で話が聞けなくなってしまうのではと思うからだ。 聞いたとして解決策を提供できない。でも同じことに悩んでいる立場として話が聞けるようにありたい。 話が聞けるというだけでちがうんじゃないかと思っている。 本当によく考えられて頭が良ければこんなことに悩まなくていいだろう。自分のことに集中してればいいというのももっともだ。 だけど今の自分にはこの解決策で十分かもしれない。