午前2時の正夢

これは夢か現実か?とりあえず眠ることにしよう。

StandaloneComplexというチームワークは希望か幻想か?

攻殻機動隊S.A.C 2nd GIGをなんとなしに見直している。 『左目に気をつけろ』の回を見たかっただけなんだけど思った以上に視聴がはかどってしまうのがこの作品のこわいところ。

何度となく攻殻機動隊シリーズやその派生作品、類似作品をみてきた。 東のエデン、PSYCHO-PASSなどなど。

その中で好きな概念が攻殻機動隊に出てくるStandaloneComplexという概念だ。

オリジナルの(先導者となる)カリスマが存在しないにもかかわらず、孤立した個人(スタンド・アローン)が共通の意識や動機を持って集団(コンプレックス)となり、あたかも最初から一連の計画があったかのように機能する社会現象

と解説されることが多いこの概念。

攻殻機動隊の中ではこう言われている

『我々の間にチームワークなどという都合の良い言い訳は存在しない。あるのはスタンド・アローン(孤立した個人)としてのプロフェッショナリズムと、その先にある信頼関係のみ』

このシビアなのだが確かに強いチームのあり方を示すこの考え方を前職の上司から聞かされ、ずっとあるべき姿として追いかけてきた。 自分のキャリアにおいてもそうで、なるべくこの形のチームに入れる自分になれそうなところを選んできたつもりだし、積み上げをしてきた。

この話をされたのが2017年。 現在10年目になるわけで、AIが登場したりと自分を取り巻く状況は大きく変化した。

AIという変数がでっかいのでその点に焦点を当てると、AIが個人の能力の拡張と成長を支援しより強い個人を生み出すはずだ。 なのに未だに『我々の間にチームワークなどという都合の良い言い訳は存在しない。あるのはスタンド・アローン(孤立した個人)としてのプロフェッショナリズムと、その先にある信頼関係のみ』で成り立つチームを持ったり、そんなチームに属せていない。

本題に戻ると、どんなに個人の能力の拡張を求めてそこに最適化しても個人はある程度強くなるかもしれないがプロフェッショナリズムや信頼関係という人と人が連動したときの強さみたいなものは醸成されないということなのかもしれない。

では一体我々はどこでプロフェッショナリズムを学び、信頼関係の構築や維持を信じられるのだろうか?

今後自分がリーダーとかをやるにあたっての視座はこういうところに置かないといけないかもしれない。

これからの自分は本業では『一番下手くそでいよう』を維持しながら、能力を拡張する。 その他の部分でプロフェッショナリズムをそだてて、共有していかないといけないんだろうな。

エンジニアが友だちと始める個人焙煎店の話

なぜか友達と珈琲焙煎店を始めることになったので、

  • 経緯
  • 何を考えて何をしたのか
  • 何をしなかったのか

を書き残しておく。

モチベーション

兎にも角にも、なんで今珈琲焙煎店なのかを書き残しておく。
いわゆるコネクティングドッツがじぶんの中であったわけだが、複数の点があるのでその点を整理していこう。

コネクティングドッツといえばこれの動画 www.youtube.com

とあるWeb系のECなどをしている会社でエンジニアをしている。
オフィスにカフェスペースがあって、近所のちょっと有名な(今ではベンチマークしている)コーヒー屋さんがスタッフと豆などをそのカフェに入れているのを知った。
そのコーヒー屋さんの本店は本当に狭いコーヒースタンドだが、こういう形で店舗を構えるというのもあるのだなーと眺めていた。これが1つ目の点となる。

僕は、長風呂が好きだ。
長風呂しているときにはSNSを見たり、Youtubeを見ている。
ふとTikTokを見ていたときに、副業で珈琲焙煎をしている人のアカウントがおすすめにながれてきた。
TikTokのアルゴリズムはこの辺が優秀だなと思うのだが、ちょうど、1つ目の点の気付きを得た直後くらいだったのだ。
珈琲焙煎をしている方のアカウントを見るに、初期投資は少なくていいし店舗もいらない。
これはなんか良さそうだなと思った。

一方で、この手の「副業」「コーヒー」がキーワードに入るアカウントや、珈琲焙煎、カフェなどのアカウントに違和感があった。
「副業」「コーヒー」がキーワードに入るアカウントに対しての違和感はこんな感じだ。
やたらにビジネスしている俺を発信したがる。
なにかにつけて
経費がどうのこうの。
利益率がどうのこうの。
SNSマーケがどうのこうの。

「「「うるせぇ!!!」」」

人はそういうの見て、応援したりはしないんだよ。
コーヒーが好きで、純粋に美味しいコーヒーってなんだろうなとか、そういうのを追いかけているいい人からコーヒーを買いたいのである。
ビジネスの話がしたいんなら、スタバでMac広げてSNSでもしてればいい。

(誤解がないように言うと、儲かる仕組みは大事。でもマーケティング云々をひけらかすな。寒いぞと思っている。)

珈琲焙煎、カフェなどのアカウントに抱く違和感は以下の様なものだ。
多くの人はなんとなくモノを買っている。
本当に自分が飲みたいコーヒーなどわかっていないのだ。だから、セブンイレブンのコーヒーが神のように崇められている。
言い方が悪いかもしれないが、目隠しして味比べをしたら違いなんてわからんだろう。
なのに妙にこだわりを発信し、やれ浅煎りだ、やれシングルオリジンだ、XXはだめだとかが前に出ているのである。
これもこれでやかましい。

自分ならこういう売り方はしないなーとインフルエンサーマーケや広告で働いたときの感覚になった。
これが2つ目の点である。

以前、投資をちゃんとしよう(NISAをやるくらい)としたときに、何から調べるべきかと思ってインベスターZを読んだ。
その中に、喫茶店経営の話が出てくるのだが、これが目からウロコだった。

『インベスターZ』(c)三田紀房/コルク
対して繁盛しないほうが持続的に経営できるという趣旨だ。
これは珈琲焙煎店にもあてはまるのでは?とおもった。これが3つ目の点。

4つ目の点は、仕事と年齢の問題である。
僕の実家は、大きな神社と商店街の隣にある。
親類の中にも商売として、鰻屋とか豆腐屋をしている人がいた。この人たちを見て思っていたことがある。
客に出せるクオリティを常に出しながら、日々いかに美味しい鰻が出せるのか、いかに美味しい豆腐ができるのかを探求しながら仕事をしているのだ。
これは、職業人として幸せなんだろうなと思った。
今日の最高のできを人に食べてもらえる。そして明日はもっとうまくなろうと頑張れる。
こういう仕事が本来の人間にあった仕事なんじゃなかろうかと思っていた。
今の仕事に不満はないが、どこか虚業なんだよなみたいな気持ちがないわけでもない。
大きい会社にいるから、フィジカルさみたいなモノを感じられなくなっているのかもしれない。もっとエンジニアとして成長しないといけない場面でもあるのだが。一旦それは置いといて、フィジカルな商売で自分との向きあいのようなものがあることに興味があった。
珈琲焙煎はクソジジイになってもできる点がよい。趣味と実益を兼ねるというのの最たるものになりそうだと思った。

5つ目は、友達の近況を変えたかったからだ。
一緒に店を始め、コーヒーの焙煎やブレンドを担当してくれている西田は平日は車のディーラーである。
今副店長の彼は、一度は大手のコーヒーバイヤーにいたがなんやかんやあって車を売ることになった。

何だが楽しそうに見えなかった(身勝手)のである。
友達の人生の岐路をつくってみるかという気持ちになった。無責任にならないためにオンラインメインの珈琲焙煎店が良さそうだとなったのである。
カフェならもっとカッコついたかもしれない。
ふたりともそれなりに稼げてはいるので、ちゃんとした事業計画があれば金融公庫など店を借りる資本金は借りられただろう。
とはいえ、そこまでいきなりベットできる度胸が僕にも、西田にもなかったのである。

そんなわけで点と点がつながった結果「珈琲焙煎店がいいんじゃね? さっそくやろうか」となった。

事業計画を立てる

綿密な計画はいらない(何処かから金を借りるわけではない。僕の資金なので。)が、目標やどんな売り方をするのかを明確にする必要があると思った。 まずは、珈琲焙煎店はそもそもいけるのかという仮説を検証する必要があった。

市場調査をし、近所のカフェや焙煎所に出向いて話をきいた。 なんかいけるんじゃね?となったので、具体的な打ち出し方を考えるに至る。

1. 打ち出し方

大事にしたい価値観はなんなのかを明確にした。

  • ビジネス感を押し出さない。
  • 知っている人が話題にしたくなる商売をする。
  • 西田、僕がいいやつであれること。
  • 地域に根ざすこと。

この辺が二人の中で噛み合ったポイントだった。
西田が八王子に住んでいるので、八王子を拠点にした。(なお、僕は世田谷区に住んでいるので週末などに八王子にいく)

2. ユーザーを知る

こういう個人焙煎のコーヒーというのは嗜好品である。
なので、ユーザーを知るが大切だ。
色々と見た結果、ユーザーのニーズ的にはどこでも買えることが大切そうだ。まあそりゃそうだという感じである。

メルカリでしか売ってません→わざわざメルカリのアカウント作るのはだるい→買わない
これが一番避けたい。
というわけて、Rakuma、メルカリ、Amazon、BASEでオンライン店舗をだして面を確保することにした。
あとロゴの作成とかLPとか物撮り、音声動画の編集などなどは僕の方で巻き取れるので、西田にはコーヒーとお客様のことを考えてもらうことに専念できるようにした。
逆に、ブレンドの感想は言うが、それ以外のことに口を挟まないようにしている。
CanvaやらStudioなどをフル活用して、スクラッチで作らないようにした。
タスク管理はTrelloで。シンプルさにこだわる。

こんな感じでぬるっとスタートから2ヶ月ないくらいで、初売上をいただくことができた。

今回は事始めということで、動機とかスタートで何をしたかを書いた。
支える技術的なものや、資本の管理などの話もどこかでしたい。こんなオートメーション組んで発注を捌いているぜ的な。
興味がある人がいたら僕が導入した事例をつくってもみたい。

あとがき

こういう小売を始めてわかったことだが、売上はないのに在庫や出費が増える。
そして、売れるか不安でメンタルヘルスに来る。そのへんをどんなふうにコントロールするかを今後は書こうと思う。
と言いつつも、この文章を書いている今現在しっかり胃がやられて飯が食えてないし、眠れていないw

あ、あとポッドキャストしたり各種SNSもしています。 新着情報など出してますのでフォローもお願いいたします!!!

youtu.be

x.com

www.instagram.com

闇バイトの募集見て思ったこと

心の弱ったやつが多い

他人との比較、より良い生活の提示が行きすぎてる。 弱く、自分がスキル上げすることもなく、でも他人と比較してどんどん金を使ってしまう人は資本主義にとってのカモなのだ。

身の丈と比較先のギャップに耐えられないやつが多すぎる。 そして、頑張っても成果を出しても搾取してくる日本の社会もどうかと思う。

と言う感想を、くるりの【琥珀色の街、上海蟹の朝】を聴きながら感じた。

youtu.be

この曲のリリックのこの部分を思い出したからだ。

止まった時計は夜明け前5時 外の空気 君だけのもの吸うも吐くも自由 それだけで有り難い 実を言うと この街の奴らは義理堅い ただガタイの良さには 騙されるんじゃない お前と一緒で皆弱っている その理由は 人それぞれ 耐え抜くためには仰け反れ この街はとうに終わりが見えるけど 俺は君の味方だ

皆弱っている、そしてこの街(日本)の終わりが見え始めているそんな気分になったから。 そして、自分はどう有りたいのかといえば、リリックと同じように弱ったやつの味方でいたいのだ。

とはいえ、何も考えず味方でいられるわけではない。そこで色々と考えた。 多分これにはミクロ経済の構造的な問題と、日本という国の現状の一端が出ているのだと思う。

まず、日本と言う国を見てみよう。 現在の日本を知るためにアメリカやアジアの国々と比較し、過去の日本とも比較しよう。 (時系列の縦横で比較をしたい)

まずは横軸での比較。 アメリカでは現時点で富裕層を狙った強盗や、凶悪事件がニュースで取りた出されている。 でも全体をみると犯罪数はそこまで多くなっていない。つまりアメリカは局所的に犯罪が増えているが全体としてはどちらかといえば良い社会になったと言えそうだ。 出展: https://honkawa2.sakura.ne.jp/8808.html

隣の国、韓国では犯罪率は4%ほど増加したみたいだ。 だが、これも増加の傾きとしては誤差ととっても差し支えないくらい緩やかなものである。 出展:http://www.anzen.mofa.go.jp/m/mbcrimesituation_003.html

経済がよいとされている国ではニュースやSNSの発信が先行して、事実と乖離がありそうだ。 結局経済成長という成果がすべてを癒やしているとざっくり受け取ればいいだろう。 だが、これは解像度の粗い理解であり格差の大きさなど犯罪との相関性が高い係数をあまり考慮していない。とはいえ見る必要もないのだろうと思う。結局人口の推移を考えると犯罪の数は増える。でも若者が減ると暴力に任せた犯罪は減る傾向にあることは過去のデータからも明らかである。それにこの問題を掘り下げるのは本筋ではないので今回は扱わない。

2カ国をみた感じでもNATO諸国はなんだかんだで、いい方向に向かっているのだ。 そしてそれは日本も例外ではない。 日本の安全さというのは異常といってもいい。ここまで犯罪の数が少なく、安全な国はどこを見てもない。

さて、次は縦の比較。 日本の犯罪数はどう推移してきたのか。 やはり、これも減っているのだ。

だとしたら、なぜこんなにも闇バイトの問題や凶悪事件が増えたように感じるのか。 それはSNSとメディアのせいである。 SNSはあくまで個人の観測範囲の事象がさも揺るがない真実のように語られて一人歩きする。

これは、人がデータや数字を見なくなったということなのではないか? はたまた、どの側面を切り取っている情報なのかを理解しなくなっているのではないか?と言えそうだ。

50年前やそこらの日本では共産党員が暴動したり、爆弾テロしていて、闇バイトも霞むくらいに治安がわるかったのである。 今との違いはある特定の考えを持った人が犯罪や社会転覆を考えていたという点だろう。 今の時代は誰でも犯罪となり得ることに、簡単に手が届くところにいる。昔もそうだったが、更にアクセスがしやすくキモい方向に進化しているという感じか。 そのキモい進化を凶悪化などというのは自由だろうが、真実ではないのである。

つまりはいうほど日本(安全上の数字の上では)悪くなっていない。むしろ以前と比較にならないくらい安全は向上した。 では、なぜ闇バイトなんてもんが一般人の手の届くところに出てきてしまったのかという点について考えたい。 ここからは、考察の域をでない。

まず、SNSや情報の広がり範囲が広くなったことだろう。 昔は他人の生活を垣間見ることなんてのは、雑誌かテレビで有名人の家を見るときくらいだった。 今や一般人が嘘か真かわからない生活を垂れ流しにしている。 結果として、他人との比較が進んでしまった。憧れを抱きやすくなった。もしかしたらあの生活が手に入るのではという無用の希望がはびこるようになった。 それ自体が悪いわけではない。ただ、受け取り手の心の強度を試すようになってしまった。

心の強度(憧れと現実のギャップに耐えられるか、それを正攻法の努力でうめられるか)というのは年々落ちているような気がする。 偉人殺しのフォークロアという本の中で、かつての日本人のことが書かれた一説がある。

それは、村内に急速に金持ちになった家があったり、金持ちの家が急速に没落したり、あるいは瞬く間に金持ちになり、数世代も経つと没落した家があるという事実、そしてそれが本当なのか私には確かめようがないのだが、多くの場合、そうした家の子孫に身体的もしくは精神的障害を持ったものが続出したという事実である。こうした事実に対して村人たちは、なぜそうなったかの合理的な説明をそれに与えることができなかったのである。

これと同じ違和感を消すために今の日本人は異人をころしたと解釈するのではなく、消費で自分を慰める。 虚栄をSNSに解き放つことで違和感を埋めようとする。

これを書いていて、人の心(ホモ・サピエンスの精神的構造)は進化していないのかもと思った。

消費で自分を慰めて、模倣の欲望を満たした結果、金がいくらあっても足りない。 ただでさえ現代日本人は金がない。そして今後も金が増える見込みが持ちづらい。 その結果虚栄の源泉となる金を手っ取り早く手に入れるための行動に走るのだ。

真っ直ぐ生きること、ドロすすっても努力することがコスパ悪いとされ馬鹿にされていると特にこういう考えになりやすいだろう。 ある意味欧米の貧困層が主張するに一部合致する部分もあるだろう。(日本は階級社会が見えづらいし出入りが自由ではあるので、特に欧州の階級社会への反逆というバックグラウンドからはずれるが)

ともあれ、心の強度を適切に持つべきなのである。 そのためには人のことを馬鹿にもせず、淡々とできることを一つ一つ積み上げて今できる最高点を更新するしかない。 運の良さだけでなんとかなるほど、社会の構造というのは脆弱な構造をしていない。それは人の心が織りなす合理性と、感情の網目を突き破る行為だからだ。 そういう穴はすぐに塞がれてしまう。再現もしなければ、二度目はないのだ。

人間関係リセットと自己効力感

youtu.be

人間関係リセットの話が後半で出てくる。 個人的な考えとかを書き残しておこうと思う。

個人的に人間関係リセット症候群というのは、一種の全能感だと思っている。 自分の人生や選択肢を自分でコントロールしてるぞという感覚だ。 https://mynavi-agent.jp/dainishinsotsu/canvas/2022/12/post-869.html#:~:text=常に誰かとつながって,を表した造語です%E3%80%82

よく生きるためにも、人生のコントロールができているという自己効力感は大切だと思っている。 ただ、人間関係をリセットすることでその感覚を得ることを僕は見下している。(見下しているというととてもいい方が悪いが、そういう気持ちは誰しも持っているよねとは思っている)

自分が連絡先を消すとか、連絡を取らないことによって得られる自分の人生を自分でコントロールできている感覚。 僕はこの感覚を得るための行為がすごくずるいことだと思うのだ。

自分の人生をコントロールしているぞ、とか、動画の中に出てくる今の自分じゃない自分になりたいという欲求は誰にでもあるごくごく自然で人間らしい感情だ。 一方で、誰かからのみられ方とか自分が一方的にリセットを試みることでその感情を満たすのはずるい。 ずるいといっていても自分の感情に向き合えていない。なのでずるいと思う感情をもう少し踏み込んで見ようと思う。 ずるいを分解するとされた側のことなど構もせず傲慢である、と言う感情と、できることなら僕もそうしたいと言う感情の掛け合わせである。

リセット癖がある人がいて、定期的にリセットをしているというのは自分が周りの人によって形作られそれは自分の選択であることを他人のせいにしていると思うのだ。

自分の人生のコントロール感なんていうのは自分を正しく律していくべきだろ?というマッチョイズムを反映している。 でも、人はそんなに強くない。人は安易な方にながれてしまうだろう。

結論に行き着くと、人間関係リセットは小狡い知性の低い奴がやることだと思っている。なのでリセット癖がある人を見下しいる。 一方で、そういう人の小狡い弱さゆえの感情を赦されてほしいと思う。 僕だってリセットによって今と違う人生や違うみられ方をえてみたい感情はあるからだ。 リセットされたとして、自分の人生はそのまま続くのだ。他人は他人。自分は他人の弱さを赦せる人がかっこいいと思う。 だから、今後の人生でもリセットを何度されても諦めず自分がコンタクトを取りたいと思ったらコンタクトするし、拒絶されたことも受け入れていこうと思う。

最近とある人がタクシーの中でしてた、SNSのアカウントを使い分けていて、海外から帰ったから違う人間関係を作りたい。という話を聞いたのも相まって筆が進んだ。 自分はこの人を鏡にして、自分の持つ弱さや嫌なところのエッセンスの濃い部分を言語にすることができた。 小狡いと言ったのは、僕が自分の人生に諦めと自信があるということの裏返しなのかもしれない。 誰かが憧れる人生なのかは疑問だが、羨ましいと思われるものもあるのかもしれない。 そんでもって、自分が他人からのみられ方に無頓着であるということがわかった気がする。

映画『レザボア・ドッグス』をみた

タランティーノとの出会いは突然に

高校生の時にイングロリアス・バスターズをみた。ブラッド・ピットがかっこよくて派手なアクション、流血。 そのぐらいしか記憶にはなかった。

以降映画が何故か好きになった。2時間の凝縮されたエンタメに魅せられた。 音楽、表情、脚本、すべてが噛み合って作り上げられる作品たちに感動し、涙して20年くらい映画を見続けている。 一応映画好きだ。

大学生の時にジャンゴをみた。 タランティーノってこんなにすごいのかと感動した。 そこから数年、タランティーノって好きだけどちゃんと公開年を追いかけながら見ていないなと思った。 そこで最初の監督作品であるレザボア・ドッグスをみることにした。 以降、しばらくタランティーノの作品の感想とかそのときのことを書こうと思う。

ふと思い立ってちゃんと感想を書き残しながら一人の監督作品を年代を追って作品を見てみようと思った。 まずはタランティーノから。 理由は簡単。おしゃれだから。

映画好きを名乗る以上避けられない監督がいる。タランティーノ、ノーラン、スピルバーグ、黒澤明、押井守... 挙げ出したらきりがないがタランティーノ作品は個人的には見やすいし人を選ばないと思う。

押井守みたいに独自ワールドでわかった気にさせることもないし、わりかし痛快でわかりやすいし。(本当に目が良ければこんなにうっすい感想は書かないかもしれない) でも痛快さは緻密な脚本やカメラワーク、切り貼りのうまさによる所も多いだろう。 この辺は今後もっと掘り下げて書いていきたいし、見る目を養いたい。

レザボア・ドッグスは初期作品だがやっぱり軽妙でテンポがいい。 そして2時間の中に全くストーリーと関係ない雑談や喧嘩がかなり含まれているのが衝撃である。 人間の会話って本来こういうもんだよなと思わせられる。人間観察がうまいというのか、役者にその登場人物として動かすのがうまいのか。。。

ちょっとしたことで疑心暗鬼になったり過去をほじくり返したり。 そういう何でもない意味があるのかないのかわからない情報の好感がされる中に人間性があるのかもなと思った。

そしてこのブログを書き始めて新しい発見があった。 他人はどう思うのかとか何をオマージュしているのかとかを調べて掘り下げるのがとても面白いのだ。

この作品がつまらない人もいるんだろう。その人がなんでつまらないのかや何が受け付けないのかを登場人物たちのようになんでもない会話の中で自分なりに見出したい。 このブログがきっかけになって誰かと映画の話がしたい。 それも大きい目で見たとタランティーノが描きたかった人間なのかもしれない。

映画鑑賞は自分の価値観の鏡なんだと思う。

僕がこの作品が好きな理由は登場人物に感情移入しなくても物語がはいってくるから。 過度に共感とか協調をするというのが苦手だとはおもっていたが自分がそういうのがなくても物事が進むことに気分の良さを感じるんだなと思った。

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B01AUHAKW0/ref=atv_dp_share_cu_r

映画概要

監督

クエンティン・タランティーノ

公開日

1992年

あらすじ

最初は、レストランで食事をしている男たちが、ジョー、エディ、ホワイト、ブロンド、ピンク、オレンジというニックネームをつけて集まっています。 ジョーは、本名で呼び合うこともプライベートな話をすることも禁止し、仕事の段取りを説明します。 しかし、警察に踏み込まれ、オレンジとホワイトは、車で待機していたブラウンと逃走します。 焦ったブラウンは事故を起こし、車が動かなくなります。ホワイトは追ってきたパトカーを待ち伏せて、警官を射殺します。 倉庫に到着したエディは、ホワイトとピンクが警官を殴り、裏切り者の名前を吐くよう迫っているところです。彼らは逃走用に強奪した2台の車を処分し、ダイヤの隠し場所へ向かいます。

立鳥跡を濁さず

note.com

この記事を読んだ。個人的に思ってる感想を書き残しておこうと思う。

立つ鳥跡を濁さずで行きましょうというのがこの記事の主旨なのだけど、この手の主張を見るたびにヨルムンガンドのレームのセリフを思い出す。

「立つ鳥跡を濁さず」 辞める者がキレイに去るさま、ってわけだが、 無い話だよな? 飛んで行った鳥は周りにいた者の心に混乱を残す。 何故去ったか理解できない者には鳥は裏切り者に見え、飛びたくとも飛ぶわけにはいかない者は鳥をやたらと恨む。

この言葉が心理だと思う。 どう頑張ってもそいつの人柄とやった仕事がどうであれその場を去るという行為が生むある種の混乱は必ずある。 その行為をどう捉えるかを人はコントロールできない。 この言葉に組織を抜けるということのすべてが詰まっているように思う。

自分がジョブホッパーをよしとしない理由もここに一端があるように思う。(ジョブホッパーを自分がしないという意味であってジョブホッパーな人を批判する意図はない) 残された者の知性や理性がどうであれ必ず混乱がそこにはあって、自分のためになるかもしれないがいたずらに転々としてはただの根無し草だ。 飛び去ったやつをどう解釈するのかはその組織の理性であり文化なのかもしれない。

まああとどうしようもないことを書くと、この筆者はある一定転職市場で優位な立場にあっていつでも自分自身も立鳥になれることがわかっているからこういう主張ができるのだ。 余裕ってのは大事なんだなと思うとともに、この余裕こそが残った人の理解のしがたさとやっかみを生む。

とはいえどうやったら混乱も理解のなさもなく組織から飛び立てるのかには答えはない。 結局のところその人の愛嬌だの人間性だのが一番重要でどういう行動に基づけばいいかはわからない。

恨まれても理解されなくてもいいと割り切れば楽かもしれない。 自分が割り切りを避けるのは割り切ってしまったらこの問題に無関心になるだけで悩む人がいたときに同じ周波数で話が聞けなくなってしまうのではと思うからだ。 聞いたとして解決策を提供できない。でも同じことに悩んでいる立場として話が聞けるようにありたい。 話が聞けるというだけでちがうんじゃないかと思っている。 本当によく考えられて頭が良ければこんなことに悩まなくていいだろう。自分のことに集中してればいいというのももっともだ。 だけど今の自分にはこの解決策で十分かもしれない。

10年前の僕へ。30歳からの手紙。

成人式ですね。新成人の皆さんおめでとうございます。
大人としてXXしたほうがいいとか、頑張れとかそういう説教臭いのはうんざりだと思います。
これは今年30歳になる僕から10年前の自分への手紙です。こんなふうになったでー。楽しくやってるよという報告です。

拝啓 10年前の僕へ。
10年後はエンジニアになっています。キャリアや収入のことにとても大きな不安がありますが多分大丈夫です。
この10年いろんなことに手を出します。映像制作、音楽制作、色々な企画。沢山の人と関わります。
うまく行かないことが大半です。失敗します。
残念ですが全部自分のせいです。努力不足です。才能でもなければ環境に恵まれないわけでもないです。
周りの人は協力的で評価してくれます。評価されて満足したというのが一番の僕の良くないところです。
なぜかエンジニアリングだけは長続きします。その結果、上司と先輩に恵まれた1社目に入社できます。

あと、留年します。キャリアが不安なくせに肝心なところで自分に甘いせいです。
小田急のホームから転落しますがなぜか生きてます。死んだと思って死ぬ気で努力してください。きっと報われます。

色々な魅力的な方が現れて恋愛をします。
至らないところしかないです。自分に過度に期待するのはやめましょう。素直に自分の近くにいてアドバイスをくれる人の意見を聞き入れてください。自分を良くすることを忘れないでください。あなたは一人で独善的に生きて行けるほど強くも賢くもないです。

30歳になるまでに3回ほど死にかけます。弟の世話になるので感謝を忘れず伝えましょう。
そして何かを手に入れるのに自分の健康を差し出すのはやめましょう。ただ、入院生活は自分が何を望むのかや自分を見つめ直すとてもいい機会になります。

30歳までの10年はうまくいかないことしかないです。でも最高の日々と言って間違い無いです。
20歳のときに思い描いたところよりもずっと遠くずっと面白く刺激的です。
迷ったときには『楽なほうよりも楽しい方を』で選んでください。

さて、僕はここから先10年をもっと楽しくしていく努力に戻ります。
まあ何かと問題はありますがなんとかなります。