午前2時の正夢

これは夢か現実か?とりあえず眠ることにしよう。

映画『レザボア・ドッグス』をみた

タランティーノとの出会いは突然に

高校生の時にイングロリアス・バスターズをみた。ブラッド・ピットがかっこよくて派手なアクション、流血。 そのぐらいしか記憶にはなかった。

以降映画が何故か好きになった。2時間の凝縮されたエンタメに魅せられた。 音楽、表情、脚本、すべてが噛み合って作り上げられる作品たちに感動し、涙して20年くらい映画を見続けている。 一応映画好きだ。

大学生の時にジャンゴをみた。 タランティーノってこんなにすごいのかと感動した。 そこから数年、タランティーノって好きだけどちゃんと公開年を追いかけながら見ていないなと思った。 そこで最初の監督作品であるレザボア・ドッグスをみることにした。 以降、しばらくタランティーノの作品の感想とかそのときのことを書こうと思う。

ふと思い立ってちゃんと感想を書き残しながら一人の監督作品を年代を追って作品を見てみようと思った。 まずはタランティーノから。 理由は簡単。おしゃれだから。

映画好きを名乗る以上避けられない監督がいる。タランティーノ、ノーラン、スピルバーグ黒澤明押井守... 挙げ出したらきりがないがタランティーノ作品は個人的には見やすいし人を選ばないと思う。

押井守みたいに独自ワールドでわかった気にさせることもないし、わりかし痛快でわかりやすいし。(本当に目が良ければこんなにうっすい感想は書かないかもしれない) でも痛快さは緻密な脚本やカメラワーク、切り貼りのうまさによる所も多いだろう。 この辺は今後もっと掘り下げて書いていきたいし、見る目を養いたい。

レザボア・ドッグスは初期作品だがやっぱり軽妙でテンポがいい。 そして2時間の中に全くストーリーと関係ない雑談や喧嘩がかなり含まれているのが衝撃である。 人間の会話って本来こういうもんだよなと思わせられる。人間観察がうまいというのか、役者にその登場人物として動かすのがうまいのか。。。

ちょっとしたことで疑心暗鬼になったり過去をほじくり返したり。 そういう何でもない意味があるのかないのかわからない情報の好感がされる中に人間性があるのかもなと思った。

そしてこのブログを書き始めて新しい発見があった。 他人はどう思うのかとか何をオマージュしているのかとかを調べて掘り下げるのがとても面白いのだ。

この作品がつまらない人もいるんだろう。その人がなんでつまらないのかや何が受け付けないのかを登場人物たちのようになんでもない会話の中で自分なりに見出したい。 このブログがきっかけになって誰かと映画の話がしたい。 それも大きい目で見たとタランティーノが描きたかった人間なのかもしれない。

映画鑑賞は自分の価値観の鏡なんだと思う。

僕がこの作品が好きな理由は登場人物に感情移入しなくても物語がはいってくるから。 過度に共感とか協調をするというのが苦手だとはおもっていたが自分がそういうのがなくても物事が進むことに気分の良さを感じるんだなと思った。

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映画概要

監督

クエンティン・タランティーノ

公開日

1992年

あらすじ

最初は、レストランで食事をしている男たちが、ジョー、エディ、ホワイト、ブロンド、ピンク、オレンジというニックネームをつけて集まっています。 ジョーは、本名で呼び合うこともプライベートな話をすることも禁止し、仕事の段取りを説明します。 しかし、警察に踏み込まれ、オレンジとホワイトは、車で待機していたブラウンと逃走します。 焦ったブラウンは事故を起こし、車が動かなくなります。ホワイトは追ってきたパトカーを待ち伏せて、警官を射殺します。 倉庫に到着したエディは、ホワイトとピンクが警官を殴り、裏切り者の名前を吐くよう迫っているところです。彼らは逃走用に強奪した2台の車を処分し、ダイヤの隠し場所へ向かいます。

立鳥跡を濁さず

note.com

この記事を読んだ。個人的に思ってる感想を書き残しておこうと思う。

立つ鳥跡を濁さずで行きましょうというのがこの記事の主旨なのだけど、この手の主張を見るたびにヨルムンガンドのレームのセリフを思い出す。

「立つ鳥跡を濁さず」 辞める者がキレイに去るさま、ってわけだが、 無い話だよな? 飛んで行った鳥は周りにいた者の心に混乱を残す。 何故去ったか理解できない者には鳥は裏切り者に見え、飛びたくとも飛ぶわけにはいかない者は鳥をやたらと恨む。

この言葉が心理だと思う。 どう頑張ってもそいつの人柄とやった仕事がどうであれその場を去るという行為が生むある種の混乱は必ずある。 その行為をどう捉えるかを人はコントロールできない。 この言葉に組織を抜けるということのすべてが詰まっているように思う。

自分がジョブホッパーをよしとしない理由もここに一端があるように思う。(ジョブホッパーを自分がしないという意味であってジョブホッパーな人を批判する意図はない) 残された者の知性や理性がどうであれ必ず混乱がそこにはあって、自分のためになるかもしれないがいたずらに転々としてはただの根無し草だ。 飛び去ったやつをどう解釈するのかはその組織の理性であり文化なのかもしれない。

まああとどうしようもないことを書くと、この筆者はある一定転職市場で優位な立場にあっていつでも自分自身も立鳥になれることがわかっているからこういう主張ができるのだ。 余裕ってのは大事なんだなと思うとともに、この余裕こそが残った人の理解のしがたさとやっかみを生む。

とはいえどうやったら混乱も理解のなさもなく組織から飛び立てるのかには答えはない。 結局のところその人の愛嬌だの人間性だのが一番重要でどういう行動に基づけばいいかはわからない。

恨まれても理解されなくてもいいと割り切れば楽かもしれない。 自分が割り切りを避けるのは割り切ってしまったらこの問題に無関心になるだけで悩む人がいたときに同じ周波数で話が聞けなくなってしまうのではと思うからだ。 聞いたとして解決策を提供できない。でも同じことに悩んでいる立場として話が聞けるようにありたい。 話が聞けるというだけでちがうんじゃないかと思っている。 本当によく考えられて頭が良ければこんなことに悩まなくていいだろう。自分のことに集中してればいいというのももっともだ。 だけど今の自分にはこの解決策で十分かもしれない。

10年前の僕へ。30歳からの手紙。

成人式ですね。新成人の皆さんおめでとうございます。
大人としてXXしたほうがいいとか、頑張れとかそういう説教臭いのはうんざりだと思います。
これは今年30歳になる僕から10年前の自分への手紙です。こんなふうになったでー。楽しくやってるよという報告です。

拝啓 10年前の僕へ。
10年後はエンジニアになっています。キャリアや収入のことにとても大きな不安がありますが多分大丈夫です。
この10年いろんなことに手を出します。映像制作、音楽制作、色々な企画。沢山の人と関わります。
うまく行かないことが大半です。失敗します。
残念ですが全部自分のせいです。努力不足です。才能でもなければ環境に恵まれないわけでもないです。
周りの人は協力的で評価してくれます。評価されて満足したというのが一番の僕の良くないところです。
なぜかエンジニアリングだけは長続きします。その結果、上司と先輩に恵まれた1社目に入社できます。

あと、留年します。キャリアが不安なくせに肝心なところで自分に甘いせいです。
小田急のホームから転落しますがなぜか生きてます。死んだと思って死ぬ気で努力してください。きっと報われます。

色々な魅力的な方が現れて恋愛をします。
至らないところしかないです。自分に過度に期待するのはやめましょう。素直に自分の近くにいてアドバイスをくれる人の意見を聞き入れてください。自分を良くすることを忘れないでください。あなたは一人で独善的に生きて行けるほど強くも賢くもないです。

30歳になるまでに3回ほど死にかけます。弟の世話になるので感謝を忘れず伝えましょう。
そして何かを手に入れるのに自分の健康を差し出すのはやめましょう。ただ、入院生活は自分が何を望むのかや自分を見つめ直すとてもいい機会になります。

30歳までの10年はうまくいかないことしかないです。でも最高の日々と言って間違い無いです。
20歳のときに思い描いたところよりもずっと遠くずっと面白く刺激的です。
迷ったときには『楽なほうよりも楽しい方を』で選んでください。

さて、僕はここから先10年をもっと楽しくしていく努力に戻ります。
まあ何かと問題はありますがなんとかなります。

また歳をとったので回顧を書き起こす

28歳、人間関係に悩んだり技術で不足に悩んだりぶっ倒れて死にかけたりした。 理想の人間には程遠く、地元の友達にくらべても子供っぽい気もするしいつまでたっても足りないものばかりだ。

相変わらずたくさんの人に迷惑をかけ、たくさん助けてもらってなんとかここまで来られた。 年々一人では絶対にここまで来られなかったと感じる。その分周りの人たちになるべく手の届く範囲に恩返しがしたい。 誕生日の前日は奇しくも新しいメンバーの歓迎会で、しかも大きいリリースが無事に完了した日だった。誕生日を迎える前にチームの成果という一人じゃ味わえないものが味わえた。 29歳になった瞬間はなんとも言い難い楽しい気持ちで飲みすぎて吐いてたw

まあそんなわけで28歳を振り返りつつ29歳の抱負を書き残しておこうと思う。

28歳回顧

とにかく生産性と人間関係にはじめのうちは苦しんだ。あまりに子供っぽいし自分のことばかりで多くの人に迷惑をかけてしまった。全然答えが出ていないものもいくつかあって未熟さに腹が立つ。 病気をいくつか経験した。コロナに始まり、後遺症、適応障害の手前まで行って薬が合わず体が壊れて入院した。

技術的なところではまたScalaを書き出し、TypeScriptよりもScalaとRustを触った気がする(フロントエンドエンジニアのはずなんだが。。。) もっと関数型言語がうまく扱えるようになりたいし、自分の実装や設計スキルを底上げしていかなきゃと思うことがふえた。 テックリードになるんだとまわりにいって回って自分のキャリアでよそ見をしないようにした。

私生活では友達に恵まれていろんなイベントごとに参加できた。人生始めてオーダースーツつくった。 キャンプにいってリフレッシュしたり、パーティーしたり。恵まれすぎている。

とはいえずっと仕事仕事でなんだか肩に力が入りすぎていたのかもなとも思う。

29歳の抱負

30歳が目の前にせまってきている。もっと魅力的な人間になりたい。技術的にもビジネスマンとしても頼られる存在でありたい。 今の会社にはいって悪目立ちしないようにしなきゃとか思っていい子になりすぎてた気もするので、29歳は「出る杭になること」にしようと思う。 「出る杭になること」は人間的にも優れていなかったら敵だらけの嫌なやつだし、技術ややり切って信頼を得られなかったら口ばかりでかい鬱陶しいやつだ。 みんなに信用される出る杭というのか、一発穴を開けてくれそうな穴馬というのか、そういうやつになりたい。

そのためにもまずは心身ともに元気でないといけない。28歳はあまりにも元気がなさすぎた。 健康に気を使いつつ自分の持てる精一杯で信じることをやり切るぞ。

今後とも至らないことで迷惑をかけると思う。その倍以上にまわりの幸せや楽しさに還元できるようにがんばります。

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今こそSFを楽しむ

民間人が宇宙に行けるようになり、AIがやってきて絵を描きコードを書く時代がやってきた。
車が自動で動いて、工場では危険な作業をロボットが代替する。
1980年代に公開されたブレードランナーの世界で描かれた世界の半分くらいは実現されたんじゃないだろうか?

誰かが『AIは第二の産業革命である』と言ってたけどまさにそんな感じだ。
今までの当たり前はどんどん代替されていく。それは日々の生活もそうだし、文化の部分もそうだ。
かつての産業革命の時を学び直すと、蒸気機関という一つのアイディアが生活のあらゆるところに入り込んだ。その結果中世と呼ばれる時代は終わりを告げた。資本主義が始まった。ヨーロッパからアメリカに世界の中心が移った。ヨーロッパ文化背景ではカトリックの世界観からプロテスタントの世界観になった。馬車で仕事をしていた人は仕事を奪われてた。

AIが産業革命を起こすなら同じように世界の中心が動いたり、文化が変わったり、人の考え方や生き様が変わり、死に様も変わるんだろう。
そんな中で新しい仕事を考えたい。
生活の中に入りこんで冷蔵庫や炊飯器のように当たり前に使われて馴染んでいくサービスを作りたい。

技術への探求はもちろん大切だし、自分は技術者の端くれなので探求こそが利益ももたらしてくれる。しかし人の生活に入り込むには別の視点も大切だろう。
倫理の変化や宗教観や、恋愛の形や生活を想像したい。
想像の先にしか現実はないだろうと思う。

だから、今こそSF作品を楽しみたい。
小説、映画、漫画、アニメできれば名作と言われる小説を積極的に楽しみたいと思う。
SF小説が僕らに教えてくれるのは単なる物語ではなくて、特定のシチュエーションに置かれた人間はどのように振る舞うのかや何に悲しみ、楽しむのかだ。
自分が作者ならどう書くかを想像したり、実在の生活の中で擬似体験をしたりして頭なのかと現実をリンクさせたい。

まあただSFていいよね、改めてSF楽しもうぜの文章なんだけどこれを誰かと共有したかった。

AIとキャリアと盆栽

AIがかなり優秀になってきた。それによってキャリアに対しての不安がとても大きくなってきた。

今までプログラミングは楽しいし、ものを作るのがすきだし、ある程度給料が高いし自由度も高い。
この図を概ね満たすことができていた。
ChatGPTなどの登場でこのバランスが崩れ始めていると感じる。

まずNEEDSの部分が変わった。50点のコードでもとりあえず動けばいいみたいなニーズをAIは超低コストで実現してくれるようになった。また、PAINの部分も大きく改善されていると感じる。
人間が介入しないとできないであろうことはかなり専門性が高くなった。

今はまだちょっとしたコードを出してくれるとか、ユニットテストを書いてくれるにとどまっているかも知れないが成長速度を考えると一瞬で人の努力の曲線を大きく超えてくると思う。 ここまでは悲観論しか書いていないが、AIがLIKEとCANの領域を広げてくれるのもまた事実だ。
AIのサポートを得てより自分自身の成長曲線を大きく改善することが可能だ。

とはいえ、プログラミングで飯を食えるようになって6年くらい。
今は若さとこれまでの貯金である程度選択肢が自分の手の中にあったが、これからはどうしようもない理由でその選択肢が減ると思う。
それはAIの登場しかり、自分自身の加齢や人生のステージが進むことによって。

また最近自分のメンタルヘルスのコントロールの難しさを感じている。
プログラミングして楽しい、できることが増えて面白いというプラスの感情と、仕事でやっている以上誰かと比較されているとか、劣等感などマイナスな感情2つがいいバランスを保ってくれるといいんだがどちらかに極端に振れてしまうときがある。
AIの実用化に伴って50点でも動けばいいみたいなケースで自分の可能性を広げるチャレンジはしにくくなってきたと思う。
仕事でやっている以上給与をもとめて動くことも必要だが楽しさを犠牲にしている側面もある。

ただただ盆栽とか家庭菜園のように何かができる喜びだけではだめなんだと強く思うようになった。
楽しみを見出す方向性や専門性をもっと高くしないと自分のもとめることができなくなっていると思う。
不安が先行して伝わないことを書いているので許してほしい。

キャリア的にジョブチェンジをすることも考えた。
勝手に師匠としているかつての上司に『純粋なプログラマーではなく、プログラミングできるPOのほうが向いている』
と言われていこうどこかのタイミングでPOをするかもとか考えていた。
ただ僕は、SNSに現れる多くのPMやPOを名乗っている人たちが好きではない。好きではない理由は割愛するが自分が同じ属性を持つことに嫌悪感がある。 そんなことを考えているといったいどうしたもんかな。袋小路に自分で入ってしまったとなっている。

自分の不安やこの先プログラミングをしてどれくらい飯が食えるのかという不安が上手に言語化できないがモヤッと大きな不安がつきまとっているのは確かだ。 そしてド正論でこの不安を叩き潰す方法もわかっている。
AIの力を借りてLIKEとCANをより大きくしていく努力をするしかないのだ。
そして楽しいが生む力やアウトプットは簡単にやらなくちゃと思う努力を超えてくる。
AIのちからを借りつつ自分がもっと没頭できることを見つけることが近道だ。

盆栽のように自分のできることを昨日よりも増やすことが相変わらず最適解の道なんだと思う。

しかし、ド正論が頭でわかっていてもうまく体反応しない。なのでこんな駄文を書きなぐる。
これは自分の考えでしかないので皆さんの考えやキャリアに対する考え方をおしえてほしいです。

面白かった動画

最近見て面白かった?動画

youtu.be

別に勉強になることとかはない。
なぜ学ぶことはないかというと、基本はホリエモンからみんなが面白がるであろう話題を引き出して中田が噛み砕くという構図だから。
基本は噛み砕く側にいる中田が自分のフォロワーに向けて自分の考えを強化するような内容に持って行きたがるから。
中田とホリエモンの対比というかスタンスの違いがおもしろい。

中田が
「ほんとに優秀な人は海外に逃げてる」
「資産は海外に逃がすべき」
「利ざやを稼げ」
的なこと(ざっくりなので語弊がある)を発信していてそれが正しいのかをホリエモンに壁打ちしたがる。
ホリエモンが「それは小手先の戦術だし自分しか守れない」みたいなスタンスを取り続けている。
そうじゃねーのよというコントラストが面白い。

この動画みて自分の考えが強化されたことが一つだけあった。
自分の半径5mを守るというもの。
前々からこういう考えが好きで、そうあるべきと思って行動してきた。
大義もなく、野心はあるが全ては半径5mの繁栄と発展のため。というわけで今後もそういうことを続けていこうと思った