午前2時の正夢

21世紀、エジプト神話の続きを綴ろうか。

価値観はどうつくられる?

こんなツイートをした。

背景として、キャリアプランやビジョン策定に悩むと人の意見を聞きたくなる。
しかし、実際SNSなんかで結果をバチバチ出してる人たちは意外と素朴な情熱原の火を大切に絶やさない努力を重ねて火を大きくしてることが多い。

自分の預かり知らぬすごい思考や哲学を持ち緻密に練り上げた秘伝のタレ的なものは意外と少ない。

逆に秘伝のタレを教えてもらっても理解できないことがある。それは自分の論理性や経験から推論できない議論をしてるに他ならず、経験と努力なしには辿り着けない。

変に期待せず、自分の中にある素朴な情熱を絶やさない努力の仕方を模索すべきなのだろう。

情報の絶やさない努力というのは泥臭い(推測)

自分のスケジュールに理性的に地味な努力をする仕組みと時間差で怠惰さや短期的な快楽に負けた自分をリセットするバッファを用意しないといけない。

結果的にそういう人間の在り方に寄り添う努力の仕方でじわじわとベースラインを上げるしかない。

ペースラインをあげてか中で経験を積むことで価値観が醸造される。

若くて青い酒はブレンドしても型にならないように、ある程度自分の価値観が熟してはじめて他の人の価値観で化学反応で起こるのかもしれない。

感銘を受けた。

資本主義で生きる基礎体力をつける 『仕事の教科書 きびしい世界を生き抜く自分のつくりかた』 北野 唯我著

想定する読者

明日もいきいきとした生活をおくりたいすべての社会人がこの本を手にとってほしい。
この本はなにかの学びを与えてくれるはずだ。

書評

「仕事の教科書」この本のタイトルにぴったりだと思った。
「仕事の参考書」でもなければ「仕事のガイドブック」でもない。
「完全仕事成功マニュアル」でもない。

なぜ教科書というタイトルがぴったりなのか?
教科書はすぐに役立つことが書かれているばかりではない。 読み手に考えさせ、導く。そして教科書に乗っていることが目指す最終地点は、人生をより豊かに生き抜くための知恵を得る源泉になることだ。
この本も同じである。資本主義の厳しい世界をしなやかに幸せに生きることを最終地点に見据えている。
そのための知識を読み手に授け、実践の手引きをする。

この本を取る以前よりも読み終わって内容を実践したとき自分や部下が豊かに生き抜くことを望む全ての人に読んでほしい。
資本主義の世界でしなやかに泳ぐための基礎体力をつけてくれる本だ。

この本から得られる知識は実にシンプルで実践と検証がしやすい。
たいていの場合、すぐに実践できて結果を得やすいものほど廃れやすい。
しかしこの本の内容は廃れることなく10年先まで持っていける内容なのだ。
何度見返しても資本主義という世界の中で人と人との間で仕事をして生きていくには必要なエッセンスがつまっている。

"求められているのはレベルの高い業務ではなくてタイミング”

これは初っぱなに出てくるがこれにすべてが詰まっている気がする。ハッとさせられた。
『砂漠で水は簡単に売れるが、町中で水を売るのは難しい』という例えがある。まさにそれと同じなのだ。
適切なタイミングで適切な業務成果があることが大事なのだ。
仕事が遅いことや仕事ができないと判断されてしまう原因はやっていることのレベルが本質ではない。

解釈の幅のエピソードは社会人をしている人なら誰しも経験するモヤモヤを的確に言語化している。

"大事なのは「プロフェッショナルの水準」を知って仕事をするのか、知らないまま仕事をするのかだ"

とあるように代替不可能な人物になりたいとき、最高峰の水準を知らないままはよろしくない。

エンジニアをしていると社内から求められるレベルだったらこれくらいでいいかとなることは多々ある。しかしGitHubで日夜OSSに打ち込みより良いソフトウェアの開発をしてる人たちの基準を知らないままにこのくらいでいいかを続けていたらきっと技術力は腐っていく。
エンジニアをしていて、世界の基準がwebを通じて目に見えるからこそこのエピソードは重く刺さった。

“きびしい世界を生き抜く自分のつくりかた"


とあるが本当にこれはぴったりなサブタイトルだ。
職種関係なくどう生き抜くかを指南してくれる。
「エンジニアの世界ではこのエピソードはこんなときに同じ状況が当てはまるな」と想起され自分自身の振る舞いと考え方を導く指標になった。
今までは月明かりだけで夜道を歩いていたが、この本を手にしてからは手に明かりを持って月明かりの下を歩くような感覚がある。

「仕事ができる」とはなんだろうか?
この問に自分なりに答えられる人ほどこの本を読んでほしい。
この本から学べることは仕事ができるようになるテクニックではない。
厳しい世界でどう振る舞い、いかに生き抜くのか。
自らの実践の中でみつけ、その楽しみを見出す本なのではないだろうか?

家に一脚良いラウンジチェアがほしい

オンオフをつけるのが下手である。 オンオフがつかないグラデーションのはっきりしない人生がいい!!と思ってきた。

だが最近休息した気がしないのだ。 休むのが下手すぎる。

なんとか上手く切り替えをつけたくて、この場所では休息しかしないぞという場所を家に作りたいとおもった。 そのために座っていて疲れなくて物質的にもある程度価値がある品物がほしいなあと考えている。

まあ単に椅子が好きなんですがw イームズチェアとか色々と好きな椅子を家中に置きたい気持ちがあるが東京のワンルームにそんなものをポンポン置くスペースはない。

なので色々と見て回りつつ、その間に貯金を作って椅子をかおうかなーと。 なにかおすすめ椅子がある人は教えて下さい。

ブラックコーヒーにチータラがとても合う

あるお店の店員さんに「コーヒーのお供にチータラを食うととてもうまい」と教えてもらった。

チータラ好きとしては試さずにはいられない。 早速セブンイレブンチータラと缶コーヒーを買って試してみた。

結果...

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これがまじでいける。 ブラックコーヒーがとても合う。GEORGIAのエメマンもあう。

ブラックコーヒーだとたらの塩気がコーヒーの後味ととてもマッチする。 チーズのクリーミーな感じもさっぱりとさせてくれる。

エメマンだとチーズとミルクの引き立て合いでたらの塩味が引き立つ。

高くて凝ったコーヒーよりもインスタントとか缶コーヒーのほうが合う気がする。 というわけでチータラと相性のいい飲みものも今後は探していきたい。

裏切らない安定の美味しさ。 www.sej.co.jp

しょうもない懺悔とフツウなことがようやく分かるようになった話。

やはり自分はどうしようもないやつなようで、最近ようやく寂しいとか孤独ってものの意味が実感できてわかるようになった。

今の自分が言語化する孤独とは「共有、共感したいのにできない心の状態」であると思う。

SNSが発達して誰とでも繋がれる。SNSにいくらでも吐き出せる。なのに孤独って、どういうことだって思ってきたけど吐き出せることと実際に吐き出したものが共感されるかとか個人間で共有されるかってのは別問題だ。

むしろ可視化された繋がりの中では空中にふわふわと浮いて誰にも触られもしない話題が明瞭になっていてる気がする。

たのしかった気持ちがどうにも共有できなくて、些細な日常の機微が報告できなくて段々と人は孤独になるのかもしれないと思う。

大事なものを失って、楽しい気持ちのやり場がなくなってどうしようもない気持ちと折り合いがつかなくなって初めて寂しいってことがわかるようになった。

今まで感じていたのは恐怖だけだった。一人になる恐怖。誰からも見向きもされない恐怖。

でも今度は違う。薄い恐怖の膜の奥にはもっと暗くて冷たい何かがいた。ようやくそれがおぼろげながらわかるようになった気がしている。

つらつらわかったふうなことを書いた。

んで、大事なのはどう有りたいのかであると思う。

自分は今度は大切なものを失わないようにまともになろう。驕りや何ができるではなくて当たり前が当たり前にできるようになろう。今度こそ逃げずに正面から大切なものと向き合おう。

そう思う。今までは逃げる余地があってそれに甘えてきたんだ。

もっと人の痛みがわかるようになりたい。自分の痛みは人に預けずとも解決できるくらいには大人になりたい。どう行動したらそうなれるのかまだ試行錯誤中なのだけどわからんなりにもがいて前に進む。

嬉しい出来事が手に余るようになってきた

最近嬉しいことがあったり、仕事やプライベートでこんな事できたとかあったが一人で嬉しいことに浸るのがちょっと手に余るというか嬉しいのになんか物足りないようなきがしてきた。

楽しいことは数限りなくある。日々の成長や達成を喜びたい。

でもなんだか自分の手に余る。どうにも楽しさと虚しさとが入り混じった感情だ。

なんかね、「今日こんなことがあったよ」って誰かに報告したいんだと思う。

一緒に喜んでくれる誰かといたんだと思う。

とはいえそれは結構大変なことで、今の自分にはその状況を手にするには足りないものが多すぎるて思った。

ソクラテスかよ。

『普通って何?』『当たり前って何?』『常識?誰が決めたの?』というのは別に普通とか当たり前とか幸せとは何か議論したいわけではない。

まあ中には議論して論破したい狂った人もいるけど。

ただ「あなたはよく頑張ってる。あなたの生き様を聞かせてくれ。あなたは変わる必要なんてないと思うよ。」
って言って欲しいだけなんだというのがやっとわかった27歳。