午前2時の正夢

これは夢か現実か?とりあえず眠ることにしよう。

東京。遥かに遠い実家。

1年前に自分がなんで家族写真を撮ってるのかを書き残しておこうとブログを書いた。

rem-rem.hatenablog.com

あれから1年。『めんどくさいこと』は『めんどくさいこととして受け継ぐこと』に意味があるのでは?と思うようになった自分がいる。

ここまでをふと振り返ったときに思ったことがある。
僕は東京に逃げてきて、家族や地元の友だちと距離をとって初めてこういうことに気がつく人間なのだということ。

18歳のときなんとしても東京に行きたかった。
このまま愛知県の片田舎で人生が終わっていくのは絶対に嫌だと強く思っていた。だが、勉強ができるわけでも特別な才能があるわけでもないので親のスネをかじって大学生という形で東京にきた。
ずるずるとこのまま地元に戻るなんてありえないという思いが心の奥底で発酵して(腐敗かもしれない)今に至る。

自分勝手に自分の『こうなりたくない』から逃げた。
たまに実家に帰るけど3泊もすれば十分だし、母の発する皮肉も嫁姑問題もなんだかんだでお腹いっぱいでかえりてぇなと思っている。(東京に帰りたいという表現がそもそも傲慢な気がしてきた)

だけどまあ血の繋がりというのは関係性の一つなわけで、距離がないとわからないことがあるなとも思う。
事実僕は家族という関係性の儚さに25をすぎるまで気が付かなかったし、ばあちゃんが長寿のギネスを更新したとしてもあと20年したら一緒にいられはしないのだということに気がつくのに時間がかかってしまった。

つらつらえもなことを書いているが、結局実家というところに帰ると学びを得るくらいに実家は遠くなった。
実家と自分の距離を近づける努力を怠って学びを垂れ流すくらいに都合いい場所になっているのかもなと思った。
どうしたいかまだ結論が出ないのだけど、これでいいのかなあという気持ちはある。
どうしたいかはわからないが、どうすれば後悔が少ないのかはわかってるきがする。

というところで、こんなブログでお気持ちたれてる場合じゃなくてばあちゃんにLINEすることが先なんだよ。