午前2時の正夢

これは夢か現実か?とりあえず眠ることにしよう。

AIとキャリアと盆栽

AIがかなり優秀になってきた。それによってキャリアに対しての不安がとても大きくなってきた。

今までプログラミングは楽しいし、ものを作るのがすきだし、ある程度給料が高いし自由度も高い。
この図を概ね満たすことができていた。
ChatGPTなどの登場でこのバランスが崩れ始めていると感じる。

まずNEEDSの部分が変わった。50点のコードでもとりあえず動けばいいみたいなニーズをAIは超低コストで実現してくれるようになった。また、PAINの部分も大きく改善されていると感じる。
人間が介入しないとできないであろうことはかなり専門性が高くなった。

今はまだちょっとしたコードを出してくれるとか、ユニットテストを書いてくれるにとどまっているかも知れないが成長速度を考えると一瞬で人の努力の曲線を大きく超えてくると思う。 ここまでは悲観論しか書いていないが、AIがLIKEとCANの領域を広げてくれるのもまた事実だ。
AIのサポートを得てより自分自身の成長曲線を大きく改善することが可能だ。

とはいえ、プログラミングで飯を食えるようになって6年くらい。
今は若さとこれまでの貯金である程度選択肢が自分の手の中にあったが、これからはどうしようもない理由でその選択肢が減ると思う。
それはAIの登場しかり、自分自身の加齢や人生のステージが進むことによって。

また最近自分のメンタルヘルスのコントロールの難しさを感じている。
プログラミングして楽しい、できることが増えて面白いというプラスの感情と、仕事でやっている以上誰かと比較されているとか、劣等感などマイナスな感情2つがいいバランスを保ってくれるといいんだがどちらかに極端に振れてしまうときがある。
AIの実用化に伴って50点でも動けばいいみたいなケースで自分の可能性を広げるチャレンジはしにくくなってきたと思う。
仕事でやっている以上給与をもとめて動くことも必要だが楽しさを犠牲にしている側面もある。

ただただ盆栽とか家庭菜園のように何かができる喜びだけではだめなんだと強く思うようになった。
楽しみを見出す方向性や専門性をもっと高くしないと自分のもとめることができなくなっていると思う。
不安が先行して伝わないことを書いているので許してほしい。

キャリア的にジョブチェンジをすることも考えた。
勝手に師匠としているかつての上司に『純粋なプログラマーではなく、プログラミングできるPOのほうが向いている』
と言われていこうどこかのタイミングでPOをするかもとか考えていた。
ただ僕は、SNSに現れる多くのPMやPOを名乗っている人たちが好きではない。好きではない理由は割愛するが自分が同じ属性を持つことに嫌悪感がある。 そんなことを考えているといったいどうしたもんかな。袋小路に自分で入ってしまったとなっている。

自分の不安やこの先プログラミングをしてどれくらい飯が食えるのかという不安が上手に言語化できないがモヤッと大きな不安がつきまとっているのは確かだ。 そしてド正論でこの不安を叩き潰す方法もわかっている。
AIの力を借りてLIKEとCANをより大きくしていく努力をするしかないのだ。
そして楽しいが生む力やアウトプットは簡単にやらなくちゃと思う努力を超えてくる。
AIのちからを借りつつ自分がもっと没頭できることを見つけることが近道だ。

盆栽のように自分のできることを昨日よりも増やすことが相変わらず最適解の道なんだと思う。

しかし、ド正論が頭でわかっていてもうまく体反応しない。なのでこんな駄文を書きなぐる。
これは自分の考えでしかないので皆さんの考えやキャリアに対する考え方をおしえてほしいです。