午前2時の正夢

21世紀、エジプト神話の続きを綴ろうか。

得意になるという努力

僕には残念なことに?得意だと思うものはない。

昔はあった気もする。どこかのタイミングで自分よりも才能とか結果をだした人に出会ってああ自分は得意ではなかったのだなと諦めるた。

そしてそれは毒のようにいろいろなことに広がる。

はじめは徒競走で一番になれないとか、部活でスタメンになれないとかそんなことだった。

次第に得意ではなかったという意識は勉強に広がり果ては仕事やプログラミングにも至った。

最近ふとこの得意なことがないというのは自分の生き方においてあんまりいい状態じゃないと思うようになった。

僕は自分の作ったもので身の回りにいる人に笑顔になってほしい。昨日までなかった体験をしてほしい。それでご飯が食べられた幸せだとおもっている。

顧客からしたら誰が作ろうが自分のニーズを満たしていれば問題ない。つまり僕が何が得意かなんて関係ない。でも得意だと言えないことで周りのニーズを満たせたとして自分は幸せかと聞かれたら胸を張ってそうだとは言えない。

要は自意識の問題なのだ。①優先順位は自分の周りを満たすものをつくること>②自分が得意だと思う得ることで①を達成することだ。

だとしたら自分の人生の責任というかそういうもので自分にとって二番目に大事なものも満たしてやろうと思ったわけだ。

バスケットボールの監督にトム・ シボドーという監督がいる。現在のニューヨーク・ニックスの監督だ。

この監督は自分がバスケの監督であるがゆえに結婚をやめた人だ。

まあどんくらいいかれてるかはこのどうがをみてほしい。

youtu.be

このバランスの悪さが僕には何故かしっくり来てるのだ。

仮に僕と働くプロディースチームがいて、その人達はプログラミングにどっぷり浸かって世間からも自分の意識でのこの人はXXが得意な人だと思う人と仕事がしたいに違いない。

となると僕はやはりバランスなんてものはすててなにかが得意だと言えるように努力をしないといけないんだと思う。いけないといってるけどこれは義務ではなくて口癖みたいなもんですぐにこういう口調になってしまう。

もっと楽しく、もっと自由に、何よりXXが得意だと自他ともに言えるように努力をしよう。

それが今週のハイライトです。

人生ってバランスだとは思う。どこでバランスを取るのかだ。

どっぷり自分が得意だと言えるくらいに磨いたなにかはきっと自分を裏切らないだろう。

生活なんかのバランスは悪くとも自分が得意だと胸を晴れるというのは金銭や生活のバランス以上に大きいリターンだとおもう。

今年は絶対に何かが得意だ!と言えるようになるぞ。

何を得意にするのか全然決まらないので壁打ちをしたいです(最後に唐突なお願い)