午前2時の正夢

これは夢か現実か?とりあえず眠ることにしよう。

23歳くらいでやめたこと

人生ってやめることで豊かになる場合がある。 断捨離とかはその極端な例だ。 ぼくは断捨離はしないけど、これまでしてきたがやめたことがいくつかある。
個人的には断捨離ってただのストレス発散行為でそれをしてる自分かっこいいまで含めてだと思っていてあんまり好みではない。

まあそんなことはともかく、やめてからのほうが楽しいのでなにかの参考になればと思ってこんなメモを書き残す

やめたものリスト

  • 他人に誘われるのを待つ
  • 相手を攻撃する態度を取る
  • 人見知り
  • 黒髪

なんでやめたのか

他人に誘われるのを待つ

これが一番効果を実感してるかもしれない。
以前はイベントに誘われるのを期待している自分がいた。
そして誘われないことに勝手に落ち込んだり卑下していた。
でもある時やりたいなと思ったことをTwitterでつぶやいてそれに賛同してくれた人が数人いて実際に決行できたとき何かが吹っ飛んだのだ。

多くの人は誘うよりも誘われたい。
おおくのひとから誘われてイベントを充実させたいと思うのかもしれないが、結局それは自分のスケジュールが他人任せてことなのかもしれない。
それに誘うひとは誘われる人なんだと思う。
あの人がいると楽しいよね。こんなつながりができると良いよねと想起されるからだ。

まあなにが言いたいかというとリア充いいなーって言う暇があったら自分で自分のことをリア充にしてあげよう。

相手を攻撃する態度を取る

なめられないぞ!と変に気張って虚勢を張った結果攻撃的な態度を取ることが多々あった。
その度あとから自分痛いやつだなってものすごく苦しくなった。

解決策はかんたんで自分が知らないとか、できないを隠さないこと。
教えて下さいと愛嬌よく言うことだ。

愛想とか愛嬌は人付き合いの上ですごく大事。
優れていなくてはなんてのは自意識の問題で、自意識と他者との関係は本質的には関係ない。
自意識優先でもいいかもしれないが僕はくだらないと思って手放した。

人見知り

これも自意識の問題。
自分人見知りだからっていって他者との関係がうまく作れないことや自分が傷つくのを回避する理由に据えていた。
でも僕が人見知りで有ることと誰かと友達になりたい感情は相反しないわけで 人見知りを理由に行動しないのは馬鹿らしい。
自分のことを大事に大事に必死に守る人と人は関係を持ちたくないのだ。
だって何をしても言い訳がましくて、自分はxxxだからって自分しか納得しない理由で自分を守る人は面倒なのだ。

そういう感情を他人に持ったとき、これはブーメランだと思った。
だから人見知りなんてやめようと思ったのだ。

黒髪

これはおまけみたいなもの。 覚えてもらったり、発見難易度を下げるのが目的だ。
あと派手な髪色が好きだから。

見た目に自信が出ると他人との付き合いがうまくいく。
だから見た目に投資することにした。

まとめ

いろんな自分の弱さを隠すための行為を捨てた。
結果としてある程度生きやすくなった。
べつに他人にこれを捨てろなんて強要しないし、僕が捨てた行為をしている人が愚かだとも思わない。

ただ変わりたい、変えたいと思ったときに変えるべきは自分自身なのだと思う。